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カネリョウ商店の歴史

カネリョウ商店の歴史

以前、知り合いの輪島塗のプロの方が、「漆の質はだまそうと思えば、いくらでもだませる」と話されていました。これは、「だからプロとして、決してお客様をだますような商売をしてはいけない」という意味合いの言葉です。蟹にも、同じことが言えます。大きくて見た目が良いが身のつまりや味がよくない蟹を、最高級の蟹として提供することができてしまいます。

カネリョウ商店は創業時、祖父母の代から、お客様に誠実に向き合う精神で蟹を扱ってきました。

「選び抜いた蟹を、最高の状態で御提供する。」

行商を始めた当時のお客様だった城崎温泉の料理長たちからはその姿勢が評価され、信頼を得ていたそうです。塩加減や茹で時間など、いろいろなアドバイスを真摯に受け止めながら、蟹の炊き方にも磨きをかけていきました。

これは創業から今まで一貫して変わらない、カネリョウ商店の姿勢です。
この記事では、カネリョウ商店の歴史についてご紹介します。

 

 

カネリョウ商店の発祥

カネリョウ商店には現社長の祖父の代から、80年の歴史があります。

三世代に渡って水産加工業を続ける中、高度経済成長や、水産資源の減少、高齢化や若者の流出による漁船の減少など、いろいろな環境の変化がありました。環境の変化に合わせて、カネリョウ商店の仕事も形を変えてきました。

カネリョウ商店を創業した社長の祖父は、もともと炭鉱で働いていました。祖母は、港で買い付けた海産物を城崎へ売り歩く行商をして家計を助けていました。祖父が炭鉱で事故にあい、危ない経験をしたことがきっかけで、当時好調だった魚の行商に夫婦二人で取り組むようになりました。

はじめは蟹に限らず鮮魚をはじめ、ちくわや焼きギスなど、いろんなものを売っていましたが、だんだんと蟹をメインに扱うようになりました。
さらに、松葉蟹の価格上昇や漁獲量の減少などが重なり、現在「香住蟹」と呼ばれている「紅ズワイガニ」の漁業が始まります。

 

変わり続けるカネリョウ商店

城崎温泉と地元の民宿に蟹や魚介類を卸すのが、このころのカネリョウ商店の商売の形でした。昔は蟹を石炭の火で炊いており、火力を上げるには石炭を追加してどんどんもやし、沸騰を抑えたいときは水を足すなど、調節ひとつも大変だったようです。

今の社長が幼稚園に通っていたころ、祖父が亡くなり、二代目である父に代替わりしました。

昔は香住蟹がたくさんとれて、実入りの悪い余った蟹は近所の方に配ったりもしていました。しかし、だんだんと蟹の値段が上がり、蟹味噌やむき身など加工商品の幅も広がるにつれ、そういったことも無くなっていきました。父の代では、城崎温泉だけでなく全国に販路が広がり、神戸の中央市場、岐阜や群馬、金沢の市場などに蟹を卸すようになります。1970年ごろは世の中の景気も良く、蟹の仲卸業者もたくさんいて、扱う蟹の質が高いと評判の良かったカネリョウ商店は、紹介やつながりで販売先を広げていきました。

カネリョウ商店の今の社長は、18歳ごろから家の仕事を手伝うようになりました。最初は、雑用から。母が軽トラックに蟹を満載して運んでいた出荷業務を、かわりに引き受けることからはじめました。

実は、先代の父からは公務員になれと言われており、家業を継ぐことを勧められてはいませんでした。しかし公務員になるのはどうしても想像がつかず。最後は父に「家の商売を継ぐのはあかんのか」と直接聞いて、「お前次第だ」という言葉に、継ぐことを決めました。

 

カネリョウ商店の今

香住の蟹漁船は年々数を減らしています。資源の減少によって漁獲量が減ってきていること、船や燃料、道具など漁業にかかるコストが上がったこと、若者が漁業を継がず町を出てしまっていることなど、理由は様々です。今稼働している蟹漁船も、多くは後継者がいないのが現状です。

蟹が取れなくなり、漁船が減っていく一方で、松葉蟹や紅ズワイガニの需要は高まり続け、価格は上がっていきました。蟹を扱う業者は増え、城崎温泉では徐々に価格競争が激しくなります。このころからカネリョウ商店は、大阪などの中央市場への販売にさらに力を入れるようになりました。カネリョウの蟹を気に入ってくださる業者さんの横のつながりで紹介を受けながら、販路を広げていました。

漁船の減少や市場の変化、周りの環境変化に合わせて、カネリョウ商店もまた、調理の仕方や販売の方法などを変化させ、現在のカネリョウ商店の形になっていきました。カネリョウ商店の釜屋の特徴である、蟹の出汁で蟹を炊く方法もこのころにできあがったもの。今お取引のあるお客様や販売先も、ほとんどが現社長の代になってから出会い、お付き合いが続いています。

→釜屋の蟹の炊き方についてはこちら「蟹の出汁で蟹を炊く。釜屋の蟹の炊き方」

 

釜屋とカネリョウ商店のこれから

この「釜屋」も、カネリョウ商店の新しい挑戦のひとつです。香住で3世代に渡って長く水産加工業を営んでいるからこそ、客観的な視点で蟹の仕事を見つめなおしたい、という思いがきっかけでした。

私たちが創業当時から当たり前にやっていた、丸い釜で蟹を炊くこと。この蟹を炊く丸い釜から、「釜屋」という屋号が生まれました。小さな丸い釜は、蟹を最高の状態で届けるための努力を厭わない、創業当時からのカネリョウ商店の精神を象徴するものでもあったのです。

今、カネリョウ商店は3代目の現社長と、4代目である息子が中心となって運営しています。釜屋のネットショップも、4代目夫婦が中心になってやるなら、とはじめたものです。

水産加工業は、水産資源があっての商売。世代が新しくなっても、どんどん会社を大きくしたい、と考えているわけではありません。蟹を獲る量は抑えながら、一匹一匹を大切に、蟹の価値を目いっぱい引き出す手助けをすることがカネリョウ商店の役割。創業時からの精神を未来へ引き継ぎながらも、新しい挑戦を重ね、脈々と事業を続けていきたいと考えています。